のりとはさみ

サッカーや本が好きな大学生の日記です。

1月7日

私の家の近くでは、きのうの降雪量が大したことなかったため、路面の凍結もひどくならなかった。おかげで無事に自転車で外出することができた。

大学の冬休みが明けて、きょうから授業再開であった。約2週間ぶりに学友の顔をみたのはおもしろかった。ここ数日、新型コロナウイルスの1日あたりの新規感染者数が全国的に増加傾向にあり、都内では3桁に達してしまっている。対面してお話しする機会はまた制限されてしまいそうだ。

 

授業を終えた足で勤務先に赴き、アルバイトをしてきた。授業後のアルバイトはおよそ1か月ぶりで、こんなに億劫だったかとしみじみ感じた。

1月6日

アルバイト先の先輩にいただいたマスカット味のピュレグミを食べたあとに午後の紅茶レモンティーを飲んだら、レモンティーがマスカットティーに感じられた。香料のせいかもしれない。

つまり、マスカット味のグミとレモンティーには共通の香料が使われていて*1、「この風味はマスカットのものだ」と認識してから似た風味をもつレモンティーを飲んだことで、私の身体はマスカットとレモンの風味を混同したのではないか。味覚や嗅覚は結構あいまいで、実のところそれらは言語認識に多分に依っているのではないか、と思うなどする。マスカット味のグミを黄色っぽくしてレモン味と表記したら、食べたときにレモン味のグミだと認識するのかもしれない。試すつもりはないけれど。

 

関東地方では昼過ぎから細かな雪が降った。アルバイトさえなければ雪の結晶を撮影したかったのだけれど、あいにく退勤する頃には雪は止んでしまっていた。

降っている雪を見たかったのに、その間ずっと室内にいて見逃してしまったのだ。雪は、降っている間は綺麗に見えるけれどいざ積もってしまうと全然綺麗に見えない。足元の雪は踏まれたり土が付いたりするし、そもそも雨水同様衛生的にばっちいものだ。

しかし、雪は非日常をもたらしてくれる。雪のせいでいろいろなお店がお休みになること、普段とまったく異なる景色を見られること、何も出来なくてもきょうは仕方ないと思えることが楽しい。電車やバスが止まっていても、「これもまた一興」という気になる。きょうは帰宅するのにだいぶ時間がかかってしまい、授業の課題を提出するのが遅くなった。体が冷えた。それでも、どうにかなったのだから楽しい。

*1:調べていないし真偽は不明です

1月5日

きょうは仕事始めもといアルバイト始め。半日ほど勤務先に拘束されながら過ごした。

午前中は自宅できのういただいたお手紙や牛嶋神社で引いたおみくじの文面を読みながらうるうるぱやぱやしていたというのに、午後は読みたい本の1ページさえも読むことができなかった。

 

仕事をしていると余計なことを考えられなくなる。ときにはそれが精神にとってポジティヴな方向にはたらくこともある。普段は考えてもみないことが、アルバイト中には口を衝いて出ることもある。

とはいえ、アルバイトはめんどう。当たり前。

冬は寒い。こたつはあったかい。仕事終わりに食べるかきたまうどんは一際おいしい。当たり前。

1月4日

わすれものがおおい

たべるのがおそい

しゅくだいがおわらない

 

以上の頭文字をとって「わたし」私です。

きょうは重大な忘れ物をしたり、甘味処でトラブルに巻き込まれたり、宿題の存在を都合よく忘れていたりしましたが、図太く生きています。

 

かねがね行ってみたいと思っていた鶯谷の幻想系古本屋 古書ドリスさんに伺いました。私はSF小説が好きなのでそこら辺の棚を物色してみました。結果、購入したのは

アラン・ライトマンアインシュタインの夢』

ショウペンハウエル『自殺について 他四篇』

高橋源一郎ジョン・レノン対火星人

以上3冊です。

課題もやりつつ読んでみます。

1月2日

とても寒い。

 

午前中はことしの年賀状を作成し、家のプリンターで印刷した。いつもだらしない私は元日になってからデザインを制作し始めた。急ごしらえでも、とりあえず完成したので一安心。年賀状を面倒くさがる気持ちは理解するけれど、丁寧なごあいさつをするのはかなり楽しいと思う。

 

午後は父方の実家に新年の挨拶に伺った。その前に近くのお寺にて初詣。

自分の生活を思い返すと、寺に行くのは初詣のときだけ。2021年にはチャペルもモスクも神社も訪れているような人間が正月だけ寺に行くというのは、何となく罰当たりな気がする。ただ、ことしは就活に精を出さないといけないので神頼みも仏頼みもしておきたい。

 

境内の屋台で買ったケバブサンドが辛かった。ここ5年くらい毎年1月2日に同じ屋台でケバブサンドを買っているのだが、ことしは屋台のおじさんにおだてられて辛いソースを頼んでしまった。口に収まりきらない大きさのケバブサンドを食べているとき、おいしいようなおいしくないような複雑な心境に至る。

 

「この味がいいね」と私が言ったから1月2日はケバブ記念日

 

お粗末様でした。

1月1日

あけましておめでとうございます。日付が変わってから1日付のブログを書いているだらしない私ですが、2022年もどうぞよろしくお願いいたします。ことしの私の抱負は、焦らずのんびり生きていくための余裕を身につけることです。

 

演習でつくっている本の最終組版が先生から送られてきたので、きょうはそれを一通り読んでいた。

私が今学期受講している演習の内容は、とあるエッセイ集の編集作業を模擬体験するというもので、これまでに11本のエッセイを通読したり、掲載順を考えて目次を決定したり、装丁のデザインを考案したりしてきた。編者あとがきも書いた。どうでもいいことですが、先生のお書きになったあとがきのなかに、私と思しき学生について言及している箇所があって大変面映ゆうございました。

 

実際、編集者として最も重要で大変な作業だと思われるゲラ読みが時間の都合上免除されていて、なおかつプロフェッショナルの方が受講生全員分の装丁*1を作ってくださっているのでいいとこどり感は否めないが、それでも「自分のつくった本」と言えるものが完成に近づいていることを実感し、年初から感慨に耽って泣きそうになった。いいものができそうです。

 

実物が完成して手元に届いたときには、それを写真に撮ってこのブログで自慢しようと思います。えへへ。

*1:カバーから帯、本扉のデザインまでプロのお仕事です……ありがたい

12月29日

年末の4連勤を終えていよいよ2021年の仕事納めと相成りました、しがないアルバイターです。誰よりも早く退勤することを目標に掲げた4日間。休憩時間が一緒の同僚たちと外食を楽しんでしまったせいで食費がかさんでしまいました。

 

心残りなことがひとつあります。弟の誕生日だったのにプレゼントのひとつも買っていなかったことです。

仕事が終わる夜10時にはほとんどのお店が閉まっていて、開いているお店はコンビニや飲食店くらいしかありません。あれが欲しいともこれが欲しいとも聞いていなかったので、どうしようと頭を抱えてしまいました。結局コンビニしか開いてなかったのでお菓子を買いました。ハッピーターンです。ハッピー。

弟はハッピーターンのほかに、耳栓やら靴やら蒸気でホットアイマスクやらをもらっていました。

 

ところで、私が高校生のときに欲しかったものは何だっただろうと思い返してみると、当時特別欲しかったものなどはなく、いただいたものはどんなものでもありがたく受け取っていた気がします。欲しいと思ったものはいざとなれば自分で買いに行き、かといって自分で買うことができないものをわざわざ他人に買ってもらうのは気が引けるという性分が災いして、これが欲しいと他のひとに主張することが難しかったのです。顧みると、いまの私もその頃と大差ないです。

 

贈り物の中身は何でもよい、贈り物が何であれ送ろうとしてくれた気持ちに嬉しくなるものだと言ったら、おべっかになるでしょうか。でも、実際そういうものではないですか。

毎日が平坦になりすぎないように記念日にお祝いしているとしたら、お祝いをしている行為そのものが尊いのでどんな贈り物でも嬉しくなる。私はそう感じます。さらに言えば、特別な日だからお祝いをするのではなく、お祝いをする日が特別な日になるのだと思っています。

 

きょう、アルバイト先の先輩が、食事をして帰って来たかと思ったら小さな花束を手に持っていました。食事をするためのお金は花束に使ったと言うのです。昨日までそんな素振りをまったく見せていなかったので私は大変驚きました。特別な理由があるわけではなく、駅近くの花屋さんの前を通ったときに何となく花束を買いたくなり、店員さんに1000円で買えるものを見繕ってほしいと言って買ってきたそうです。

ついでに100円ショップで買ってきたという花瓶に差された花々は、机の上で確かな存在感を放っていて、とても華やかで素敵でした。

 

夜遅くコンビニのレジ台に大量のハッピーターンを置いたとき、弟に買うべきものは花束だったなと後悔の念が湧き出して、休憩時間に花束を買うという選択肢を持つことがなかった自分を恥じました。

だからか、いま私は無性に花束が欲しくなっています。何気なく歩いた街角で花束を買って、さりげなく大切なひとにお渡しできるような、そんな心の余裕も欲しいです。