のりとはさみ

サッカーや本が好きな大学生の日記です。

4月7日

2024年の4月1日は月曜日。きょう7日は日曜日。

今年度の最初の週を乗りきった。疲れたような気もする。思っていたほどでもない気もする。

 

 

 

私には「社会人」という語への拒絶反応がある。社会人とは、実社会で働いているひとのこと、労働者のこと。そのような価値観が気に入らないからだ。

 

私は、カレンダーに沿って生きているひとはもれなく社会人だと思っている。労働者は、社会人という集合の要素にすぎない。

つまるところ、カレンダーに沿って生活してさえいれば、働いていようがいまいが、そのひとは社会に参画しているのだと私は考えている。働いていないひとも社会に参画し、社会に影響を与えているでしょう、というスタンスだ。

 

しかし、実際のところ、不幸なことに、働かずに社会人でい続けられる人間はそう多くない。少なくとも私はそうではない。働かずに自分の生活を成り立たせることはできないと自覚している。

 

ゆえに、今年の4月から働く社会人としての生活を始めることになった。そうした。これからしばらくは、働くことで社会に参画するやり方を身につけ、実践することになるはずだ。自分の選択した道で何かを拾えるように、そして、いつの日か働かない社会人になれるように願いつつ、あしたから労働ウィークを再開することになる。

 

 

 

これまでの内容を簡潔に書き直すと、今月からいわゆる社会人になりました、ということです。

でも、簡潔に済ませられないのが私のキャラクターであり、1週間の労働者生活くらいではそのキャラクターまったく変わらなかった。そういう報告です。

 

これまで、というか最近私に連絡をくださった方々へ。メッセージ、ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみしています。

 

私の恋人へ。いつもありがとう。そして、お待たせしてばかりで申し訳ないです。次にお会いできる日まで、働くことで社会に参画してみます。

 

私のまわりにいらっしゃる皆さんへ。これからも細々といろいろやっていきます。このブログも。よろしくお願いいたします。

では、また近いうちに。

郡司和斗・工藤吹・篠原治哉『新しい球技』

横長本。

面白い歌や素敵な歌が多く、レイアウトもデザインもかなり洗練されていて、贅沢な本だと感じた。

特に印象に残った歌を、それぞれの作者から3首ずつ以下に引用。

 

郡司和斗「オリエンテーション

同じ花火の写真を撮って私たち見返すことはない隅田川

まるで人生が一回しかないかのようにあなたは窓硝子を拭いていた

花束を受け取る人はいないけど花束係になれてうれしい

 

工藤吹「近況報告(RESIDENT/軽々)」

窓越しに別の車窓も越してみる東京の中学校や小学校

筆跡のなべて曲線 ここまでの遠出はひどく遠かったでしょう

こういうのが生気に触れるなのだろう廊下には木洩れ日が影を生む

 

 

篠原治哉「身体はうたう」

草や花を口に差し込む快楽はジャスミンティーに教えてもらう

ビニールがビニール傘になるまでに受けた悲しみはわからない

四季が好き 好きが高じて手を握る 霧の美術館は遠くても

 

平等に3首ずつ。

他にも素敵な歌がたくさんあったことは書き記しておきたい。

とりわけ、篠原さんの作品はポエジーが高いような感じがした。

郡司和斗『遠い感』より一首評

前置き

文学フリマ東京73で、私は『短歌誌 えんこ』という本を販売した。その本のなかで、郡司和斗の歌集『遠い感』(短歌研究社、2023年)についての書評を書いた。

しかし、執筆にあまり時間を掛けられなかったこともあり、納得できるものは全然書けなかった。書評とするには分量が不足している感が私にも否めない。根拠が足りない。歌集全体を見通すほどの時間と根拠を用意できなかったのであれば、じっくりと一首に向き合って一首評を書くほうが楽しかったのではないか、という気がしてきた。

というわけで、今回は一首評を書く。一首評を書くのは初めてだ。誰も助けてはくれない。それでも書く。

 

一首評

定食屋のテレビに映る定食屋 こっちでは生姜焼きを食べてるよ

郡司和斗『遠い感』

作中主体は定食屋で生姜焼きを食べている。と同時に、定食屋に置かれているテレビには別の定食屋が映っている。テレビに映るのは、昼過ぎや夕方に放送されるニュース番組やワイドショー番組の類だろうか。番組の中の定食屋、あるいはレポーターに向けて、「こっちでは生姜焼きを食べてるよ」と思う。

 

この一首の下句について考えてみたい。

定食屋で定食屋を見ているという状況の中で、より丁寧に言うと番組のレポーターが食べているところを自分も食べながら見ているというという状況の中で、テレビの向こうに向けられた(おそらく無言の)呼びかけである。

そして、その呼びかけにはどことなく子どもっぽさや、状況への悪戯っぽい笑いの雰囲気が漂う。会話中の口調のようにくだけた口語であること。また、終助詞「よ」の効果として、「こっちでは生姜焼きを食べてる」ことなど知るはずのない他者にわざわざ教えてあげるような印象が伴うこと。どう読んでも14音をわずかにはみ出して字余りになることも踏まえると、大人らしさとは反対の印象をほとんどの人が受けるのではないか。

 

しかし、私には、下句を丸ごと使った呼びかけに、悪戯っぽい笑いの裏側に、簡単には言い表せないような感情が隠れているような気がしてならない。

この一首をより深く考察するために、一本の補助線——高野公彦の一首を引いてみたい。

流氷の輝りをテレビに見つつ食ふ南無ほかほかの炊き込みご飯

高野公彦『天泣』

上に挙げたのは、私が「定食屋」の歌を読んで思い出した、高野公彦の一首である。

郡司作と高野作では、歌の構成が類似しているように思われる。まずはテレビに映る事物(前者では「定食屋」、後者では「流氷の輝り」)を描き、視線はそこから、それを見ながら食事している作中主体とその手元の料理(前者では「生姜焼き」、後者では「炊き込みご飯」)へと移動する。

 

この二首で大きく異なっているのは、テレビに映るものと料理の関係性だろう。

まず、高野作。こちらではかなり明確な対比関係が示されている。テレビに映る「流氷の輝り」は遥か遠くにある冷たい他者である。その他者に対して、手元の「炊き込みご飯」は、「南無」と言いたくなるほどにありがたく、「ほかほか」であたたかい。この一首では、明確な対比を持ち込むことによって、炊き込みご飯にありつけた〈自分の生のかけがえのなさ〉が、大きな幸福感を伴って描き出される。

一方の郡司作では、定食屋のテレビに映るものは定食屋であるから、二者は類似している、あるいはほぼ同質といえるものだ。「定食屋のテレビに映る定食屋」は遥か遠くにある他者ではなく、遠くにいる仲間である。それどころか、自分のいる定食屋が取材対象としてテレビに映っていてもおかしくないという可能性の世界まで意識すれば、テレビに映る定食屋は、心理において自分と限りなく近しい他者だともいえる。

このとき、「テレビに映る」定食屋と自分とを区別するのは、「生姜焼きを食べてる」ことくらいしかない。だから、下句の呼びかけは、限りなく近い他者に向けられたつつましやかな自己紹介(自己主張)と読めるだろう。

 

郡司和斗『遠い感』について

郡司の作中では、いや私たちの生きる現代社会では、自分の生は他者の生とほとんど交換可能である。〈自分の生のかけがえのなさ〉を高らかに歌うことはもうできない。

郡司和斗はすでにその事実を一度受け入れているように思われる。受け入れているからこそ、そこから生まれる感情は、単純で明瞭なものにはなりえない。歌集『遠い感』に収められた短歌の中には、問いの形をとったものや、どっちつかずな態度を示すものが多い。

ケルベロスに生まれてみたい笑うこと泣くこと怒ること同時にできる

いくつまでゆるされキャラでいけるだろうアパートまでの葉桜の道

二席分使って眠ってる人に死ねと思って生きてと思う

っざけんなと思った夜があっていい なくってもいい 焚火の夜に

まばたきに似た電灯の無人駅からどれくらい歩いたんだ……?

会いたいとおんなじくらい会えなくていい うずまきに皮剝く林檎

おそらく重要なのは、同質なものの中から小さな違いを見いだす視線であり、「生姜焼き」のような小さな違いを表明するひとつひとつの選択である。ひとつひとつの視線と選択だけが自分を自分たらしめる。

郡司和斗は、あどけない態度の裏に、現代社会に向ける批評的な視線を備えている。瀬口真司による栞文に従うならば、その態度はある意味で「あざとい」ものだ。しかし、だからこそ侮れない。軽妙な文体の奥で、きらりと光る抒情と批評性が顔を出している。歌集『遠い感』は、私にとってそのような一冊だった。

文学フリマ東京37 振り返り

文学フリマ東京37に、出店者として参加してきた。

 

客としては今年5月も含め何度も行っているけれど、出店は久しぶり。終了時刻の17時まで人がたくさんいたのは結構嬉しかった。ただ、キャパオーバー感は否めなかった。出版業界は右肩下がりと言われて久しいけれど、アングラなところではまだまだ盛況みたいだ。

 

私は、所属している大学の文芸サークルで出店した。

このサークルで出店するのは初めて。私が1年生だった2019年、サークルの先輩方に「自分が上級生になったら文フリにも出店する」と言った。そこから4年が経ち、コロナ禍を挟んで実現することとなった。昨年の時点では実現するとは全く思わなかった。

後輩がほぼ全ての手続きを進めてくれた。感謝の気持ちしかない。

 

文フリでは、サークルの通常の活動で制作している部誌と、急いで作った短歌中心の本を販売した。それぞれ20冊と15冊くらい売れた*1。全然元は取れないが、そういうものだ。商業出版しているようなクリエイターもすぐ近くにいるなかで、特別なセールスポイントを用意できなければ売れない。

 

ただ、出店者だと他の客より早く入場できるのが最高。その目的だけでも出店する価値がある。少部数のものもほぼ確実に購入できる。

 

購入したものは以下

  • 佐藤文香『渡す手』(この世で最初に「購入」したのは私!)
  • 『虎とバター』1号、2号佐藤文香さんの隣のブースのおじさま方に強く誘われて購入してしまった)
  • 土岐友浩『ナムタル』(装幀が綺麗)
  • 夜夜中さりとて『ハニー・バニーとパンプキン』
  • 『ねこくるよ』No.5
  • 我妻俊樹・平岡直子『起きられない朝のための短歌入門』、『瞼のための偶数』
  • 『羽根と根』11号
  • 山階基『夜を着こなせたなら』(署名していただきました!)
  • 『透けやすい』2号
  • 工藤吹・郡司和斗・篠原治哉『新しい球技』
  • 榊原紘『推し短歌入門』(『ポエトリー左右社 vol.1』を付けてもらいました。豪華な執筆陣)

 

私たちの展示場所が第一展示場だったのもあり、評論など第二展示場ほうは見られなかった。

ちなみに最初の5つは、文フリに参加できない人に頼まれて購入したもの。読み終わったらめっちゃ貸してほしい。

 

私は来春で大学を卒業するけれど、そのあとも細々と書きものを続けて文フリとかに出せたらいいな。

*1:一部はお金をもらわずに渡した

4月10日

前回ブログを書いてから1か月も空いてしまった。前回もこんなことを書いたと思う。書いていいことと書いていけないことが自分の中ではっきりしていなかったり、ただ書くのが億劫だったり、いろいろ言い訳はあるけれど、とにかくこれまで書いていなかった。

 

この1か月のあいだに、人生で初めて企業の面接を受け、いわゆるお祈りメールを頂戴した。特段そこで働いてみたいと思える企業からのメールだったからこそ、落選の報を受けたときはそれなりに落ち込んだ。

エントリーシートを書いていたときの感情を思い出した。仮にその企業に入社することになったとしても、自分はやっていけないのではないか。いや、その企業以外ではさらにやっていけないのではないか。ほら、悩んでいる暇があったらエントリーシートを完成させないか。落選してしまってからは、そのときの逡巡はばかばかしいものだ。迷ったらエントリーシートを書く。ひとまず完成させ、提出すべきなのだ。切り替えてやっていくしかないのだ。

 

エントリーシートを書くとかなり疲れる。納得いかないこともある。

どこかの企業のエントリーシートに、「コンプレックスは何か」という設問があるのを見て辟易した。なぜ見ず知らずの人間に自分のコンプレックスを打ち明けなければならんのだ。そもそも、コンプレックスというものはそう易々と他人に打ち明けられるものではないだろうに。綺麗事だけを並べたエントリーシートでは満足できないというのなら、企業のほうも美辞麗句だけでなく自身の弱点を開示するのがフェアだと思うわけだ。

 

就職四季報』や大学のシラバスを読んでいるときは楽しい。なぜならそこには素敵なことしか書いてないから。

 

あっという間に月日が経って、もう明日からは今学期の大学の授業が始まってしまう。残り短い大学生活、どうせなら面白いことをたくさん見つけたい。

3月9日

サンキュー。

 

1か月ほどブログを更新することができず、残念であった。後期の課題をすべて終えてから就職活動を始めたのだが、これがなかなか忙しない。未来のことを考えるのは大変だね。

私は数日中にWebテストを受験することになっていて、そのタイミングはいつでもよいとのことなのだが、上手くいく気がしないので先延ばしにしてしまっている。少し対策したぐらいで成績が劇的に向上するとも思えないのに。困った。

きょうも不安感から逃れるために本を読んだ。読み終わったときには、読書にかけた分だけ締切までの残り時間が減っていることで不安感が増大した。就職活動、早く終わらせたいな。

2月4日

神奈川県横浜市根岸森林公園に行った。根岸線に乗ったのはもしかすると初めてだったかもしれない。知らない駅名がアナウンスされるとなぜか心が躍ってしまう。

 

あとで根岸という街について調べてわかったことをここに記しておこう。根岸の駅から見える台地には、戦前は外国人向けの娯楽施設であった根岸競馬場*1がそびえ、戦後は米軍関係者とその家族が住む根岸住宅地区が整備された。フェンスで仕切られたこの地区は米軍管轄であって、長らく日本人が立ち入ることのできない場所となっていた。数年前にこの地区の全面返還が日米の合意によって決まり、米軍関係の居住者はすべて退去しているとのことだが、きれいさっぱり更地になって引き渡されるまでは相変わらず立ち入り禁止エリアである。跡地がどのように活用されるかは未定とのこと。

 

根岸森林公園はまさにその台地にある。旧根岸住宅地区の一部の接収が解除され、その場所に整備されたのがこの公園というわけである。駅から公園までの階段続きの道がなかなか急勾配だった。

平日の昼間から公園を散歩することができるのは、大学生の特権なのかもしれない。広々とした園内を歩いていると心が穏やかになる。桜の名所とのことなので、春にも来てみたいと思う。

 

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(写真:旧根岸競馬場一等馬見所跡*2

*1:根岸競馬場は通称であり、本来は横濱競馬場という名称だそう。

*2:まんまるの窓が特徴的なエレベーター塔は3基並んでいるのだが、iPhoneのカメラには収まりきらなかった。