SFペンギンの雑記

140字以上の文章を書きます。一人称は「私」。サッカーや本が好きな大学生。

映画『ファーストラヴ』のことなど

昼の穏やかな陽光と夜の冷ややかな空気とが行ったり来たり。まだ風は冷たいものの、いよいよ春が近づいてきた感がある。ここ数日は花粉症で体がだるい。

本当は映画を観た日曜のうちに文章を書けばよかったのだが、文章を書く時間を用意できずにいたらいつの間にか2週間が経ってしまった。怠惰ですみません。

 

 

 『ファーストラヴ』雑感

14日、『ファーストラヴ』を鑑賞した。映画館で邦画を観たのはとても久しぶりのことだったが、率直に言ってとても良い体験だったと思う。俳優の演技には引き込まれるものがあったし、映画のテーマに考えさせられることが多かった。何より『ファーストラヴ』は感想を書きたくなる映画だった。

 

なお、この記事では未だ映画を観ていない読者への配慮やネタバレ防止策を殆ど講じていないので、映画の内容を知りたくない方はこれ以上読まないことをお勧めします。また、この記事ではあくまでも映画『ファーストラヴ』の感想を書くので、島本理生による原作小説への言及は最小限に留めておきます。

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あらすじ

映画『ファーストラヴ』の公式サイトには、「なぜ、彼女は父を殺さなければならなかったのか? 直木賞受賞のベストセラーサスペンス、衝撃の映画化」とある。サスペンスとミステリーが日本で明確に区別され用いられているかはわからないが、この惹句のとおり、この作品のストーリーを動かすのは、アナウンサー志望の女子大学生がナイフで父を刺し殺した事件の動機を解明するというホワイダニット*1である。

アナウンサー志望の女子大学生聖山環菜は、テレビ局の就職面接の帰りに、芸術家の父を大学のトイレに呼び出してナイフで刺殺する。環菜の経歴と美貌が事件に対する世間の注目を集めていた。主人公にして公認心理士の真壁由紀はノンフィクション執筆のために環菜に取材、面会する。公認心理士という立場だからこそ踏み込むことのできる環菜の過去。彼女の受けた傷に光が当たると同時に、由紀の心の奥底に秘められた「初恋」の記憶が顔を出す。殺人事件の動機を解明するという軸と並行するように、由紀の過去がじわじわと明らかになっていく。環菜と由紀という2人の女性の心に刻まれたトラウマの正体をそれぞれの登場人物がどのように受け止めてクライマックスの裁判に臨むのか。そして裁判で明かされる衝撃的な真実とは。

 

映像作品としての意義

正直、今回の事件の動機を予想するのは難しくない。原作者の島本理生の名を知っている人にとってはなおさら想像しやすいのではないか。愛に傷ついた人(特に女性)が困難をどのように受けとめて乗り越えていくかというテーマは、島本の小説で度々描かれてきたものだろう。

それがサスペンスのプロットを伴うことで、さらには実写映画化されることによってより広い層に届くこと。これは映画『ファーストラヴ』の一つの意義だと思った。

そもそも日本では、女性の受けてきた苦しみとそれを告発する運動についての理解があまり進んでいないと思う。つい先日、総理大臣を経験したこともある老人が自身の女性差別発言を批判されてしぶしぶ職を辞するということが起こったばかりだが、これは2021年の日本社会におけるフェミニズムが発展途上にあることを示唆する出来事だった。先月にはどこぞの府知事が、フェミニズムの文脈で用いられる「ガラスの天井」という語をまったく異なる意味で用いて指摘を受けていた。為政者がこの有様なのである。

男性から受けた性的暴行やセクシャル・ハラスメントを告発する「MeToo」運動は、2017年にアメリカの映画界を中心に世界的なムーブメントへと広がりを見せたものだ。『ファーストラヴ』がこのMetoo運動を後押しするために制作されたものだと語るつもりはないが、少なくとも、観客がこの運動が起こったきっかけを理解するのを手助けするような映画であるということはできるはずだ。

 

主人公の由紀と女子大生の環菜、それぞれが男性の視線に深く心を傷ついた経験をもっている。あまつさえ、最も身近な男性であるはずの父の視線をも恐れている。

彼女らを傷つける視線の卑しさは、映像化されることで小説の文章よりもさらに生々しく映る。これは映画の中だけに存在する虚構ではなく、現代日本で女性がさらされてきた現実なのだと、誰にも打ち明けることのできない傷を隠しながら生きている人間がいるのだと、この映画は突きつける。

 

恋愛サスペンス映画という触れ込みに誘われた観客が、映画を通じて思わず内省させられる、『ファーストラヴ』はそんな映画に仕上がっていたと思う。女性はこの映画に深い共感を覚えるかもしれないし、男性は自分の人生を深く反省するかもしれない。その先で、人間がお互いに理解しあって愛しあっていくのだというメッセージをこの映画に感じた。

「ファーストラヴ」というタイトルは、初恋だけを意味するのではない。人生の最初に受け取るはずの親子「愛」を受け取れなかった人、受け入れがたい肉体関係を「これも恋愛なのだ」と思い込むことで受け入れようとした人、そのほか様々な人間関係に傷ついた人々が、お互いを理解して尊重しあえる相手との最初の本当の「愛」に出会うストーリー。それらすべての愛をこのタイトルが表しているのではないだろうか。

 

俳優たちの演技

何より聖山環菜を演じた芳根京子が素晴らしかった。環菜という人間に入りこんでいた。

劇中で環菜が登場するシーンの大半は拘置所の面会室なわけだが、そのガラス越しに、あるいはスクリーン越しに彼女の感情が伝わってきた。面会室では、場面ごとに感情の大きな揺れ幅があって言動が一致しない、客観的に言って「わからない」人間像を見事に演じきっていた。法廷でのシーンでは、自分の過去を乗り越え、公衆の視線と向き合うのだという覚悟が感じられる表情をしていた。登場シーンは映画全体で見ればさほど多くないのに、そのどれもが印象的に映った。

 

次いで、由紀の夫我聞を演じた窪塚洋介が素晴らしかった。環菜よりずっと登場は少ないが、由紀や弟の迦葉の過去を受けとめる穏やかな眼は作品に不可欠だった。こんなに深みのある役者だったとは。

個人的な話になってしまうが、この映画を観る以前に私はエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読んでいた。『愛するということ』に書かれたことを、『ファーストラヴ』で窪塚洋介の演じた我聞はまさに体現しているような気がした。

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そのほかの俳優陣もみなすごく上手く演じられていると感じた。木村佳乃の役への入りようは先の2人に負けず劣らず際立っていた。主演の北川景子は感情的な演技がよく似合う方だと感じた。この作品は演者の顔をアップに撮るシーンがやたら多くて、表情の些細な変化がわかりやすい。ただ、劇場の大きなスクリーンで観ると、やりすぎに映ったと感じる向きもあるかもしれない。

強いて言えば、由紀(北川景子)と迦葉(中村倫也)の大学時代を描く回想シーンのこと。色調やメイク、髪型などで大学3年の2人を表現しているのだが、何とも言えないちぐはぐさを感じた。こればかりは仕方ないのかな。

 

気になった点(ネガティヴなものも含む)

作中の重要なシーンについて

 映画化するにあたって、2時間に収めるための改変が行なわれている。原作に登場する人物がいなかったり、それによっていくつかのエピソードがなくなっていたりといった再構成の試みのうち、功を奏したものとそうでなかったものがある。

映画の最後に我聞の写真展を持ってきたのは良い改変だと思った。原作小説のラストではとある人物の結婚式が描かれる。小説でも映画でも由紀と我聞の和やかな会話で終わるのだが、原作の我聞のセリフ*2は、正直好きじゃなかった。映画版では我聞と迦葉の幼少時代を懐かしむものになっていて、より穏やかなエンディングになったと思う。

 

気になったのは病室のシーンに至るまでの過程。由紀が運ばれた病室の中で2人が過去を打ち明け、我聞が由紀のすべてを受けとめる場面はこの映画の佳境だったと言える。けれど、由紀を病室へと誘ったトラックの唐突すぎる登場に面食らってしまって、素直に感動できなかった。ストーリーの転換点にトラックが登場する演出にはもう飽きている。

 

私の部分と公の部分のバランス

映画と小説とで好まれるテンポは違うだろうから、映画版では原作小説よりもかなりスピーディーに動機の解明が進んでいく。そのせいで、公認心理士という立場だからこそゆっくりと「私」の部分に踏み込んでいくはずの由紀が、裁判とノンフィクション執筆という公的な目的のために張り切っている感じが少し強すぎるようにも感じた。

原作小説の時点で、ミステリの要素は正直弱い。「動機はそちらで見つけてください」という環菜の発言はフックとして申し分ないものの、明かされる真実や判決の結果には納得できない部分が残る。環菜や由紀がこれからの人生に向かって歩み始めるというプライベートな解決は十分だけど、納得のいく説明によって納得のいく判決結果が下るというミステリとしての解決には疑問も残る。

文庫本で350ページくらいの原作では、映画より内面描写に分量を割くことが許される。由紀の視点で描かれる登場人物の些細な仕草、その一つ一つには深長な意味が示唆されていて、ミステリの部分が弱くとも純文学的な要素で読ませる。

一方の映画では、広い観客層を引きつけるためか弱点ともいえるミステリの部分が押し出されていて、そのせいでミステリを期待した人が肩透かしを食らう可能性は否定できないと感じた。それぞれの登場人物に共感できる人は、映画でも十分に楽しめると思う。だが、共感できない人にとっては、ミステリとして退屈なものに映るかもしれない。

 

総じて、私は面白い映画だったと思います。

 

最近のこと

家から最寄りの映画館はショッピングモールの中にある。14日は日曜ということもあって施設全体がかなり賑わっていた。映画館も同様、予想以上に客が入っていた。昨年の春以前の生活はしばらく戻ってこないのだろうが、同じような生活ができる日は近いうちにやってくるような気がした

私は観終わった後に映画のことなどをあれこれ考えながら歩く時間が好きだけれど、ショッピングモールを歩くのでは視界に入ってくる情報が多くてなかなか集中しにくい。映画館だけの建物に行きたい。心置きなく都内に出られる日が待ち遠しい。

 

最後に。今年の実写邦画では、少なくとも『夏への扉 ―キミのいる未来へ―』と『Arc アーク』を映画館で観る予定。どちらも海外のSF小説を日本で実写映画化したもので、どんな映像が出来上がるのか興味がある。面白かったらまたこうやって文章を書くはずです。

 

読んでくれてありがとうございました。それではまた。

*1:なぜ殺人が起こったのか。

*2:「(略)今日が来て、僕もようやく由紀を独占できるよ」